シアトル生活はじめました

20年以上すんだ東海岸から西海岸に引っ越してきました。MicrosoftのUniversal Storeで働いてます。

自分が14歳だったころ頃を思い出しながら、米津玄師やRADWIMPSにはまる、もうすぐ14歳の娘たちと関わる

自分にもあった「多感な時期」

自分自身が14歳前後の頃、いろんな感覚が鋭かったことは覚えている。おそらくは10代を通してずっとそうだったかもしれないけど、

  • プラモ作りなんかで、ディテールに対してのこだわりがとても強かった
  • 耳に入ってくる曲や歌詞の情景が手に取るように見えた
  • 服を買う時にめちゃくちゃ時間がかかった(コレと思えるものを探すために町中を歩き回った)
  • 挿絵なんかのちょっとした絵に強く興味を持って見入った
  • ちょっとした家族や友達の言葉に傷ついたりした
  • 部屋の模様替えを半年おきとかでしていた

例を上げるときりがないけど、簡単に言えば「多感なお年頃」とか「中二病」だったということ。

それから大人になるにつれて「感覚」はどんどん鈍っていき、「感動」もちょっとしたことでは得られなくなっていき、「感動の粒度」もどんどんと荒くなっていった。

今では歌が流れていても、その歌詞がどんなものかさして気にすることもなく、「ふ~ん」って感じで素通りしていく。

入ってくる情報が目新しいものじゃなくなったから、それを感じ取るアンテナの精度を落として来た、そういう感じ。

それはそれで成長の過程に過ぎないので悪いことではないと思う。

逆に、アーティストや物書きの方たちの中にはそういう「研ぎ澄まされた感覚」を今なお持ち続けている人もいる。それも、良いことだと思う。

現在「多感な時期」真っ最中の娘たち

我が家の双子の娘たちは、アメリカに住んでいるのに英語の歌はあまり聴かない。いや、ちょくちょくは聴いていたみたいだけど、最近は家族で加入しているSpotifyでもほとんどは日本の歌を聴いている。

よその家庭でもそうだと思うけど、我が家でも車に乗り込むと誰かがDJになります。たいていは娘の一人がDJになります。(お父さんがDJになると80年代のヘビメタとか選曲されるので、それを阻む目的もあるかもしれない)

娘たちには今、2回目の「君の名は」のブームが来ていて、RADWIMPSがずっと流れている。ちょっと前は米津玄師がよく流れていた。セカオワもちょくちょく挟んでくるし、Ficher's も何曲かは好きみたい。

どうして日本の曲が好きなの?って聞いたら、「日本の歌の方が心に響く」らしい。とくに歌詞がいいらしい。「これ、夜中に聴くといいんだよ~」とか、いろんなベスト・リスニング・シチュエーションも教えてくれる。

いまこそ「感覚の精度」を上げて(上げる努力をして)子供たちと関わる

親の自分にとったら、娘たちが夢中になっているコンテンツに対して、「無関心」の対応もあるし、一緒に楽しむという対応もあるし、まぁ実際はその中間のどこかにある。

ただ、選ぶとしたら「一緒に楽しむ」のが良いだろうと思う。自分が忘れていた感動や感覚、体験や感情のバラエティーを、ひさしぶりに増やして人生の中で再度「プチ中二病」を体験することも出来る。

楽しむことだけが目的じゃない。親と子供との関係が難しくなるのもこの時期でしょ?合わせてあげられるのは親だと思う。

別に迎合して子供に合わせようと言っているのではなく、「感性の制度」を、最近ちょっとおおざっぱだったのを、子供とのコミュニケーションにおいては、少しだけ鋭くする。

この時期の子供は親を含めた大人からの言葉や態度に含まれるいろんな微妙なニュアンスをすべて感じ取っている可能性が高い。大人どうしの、例えば皮肉とか、揶揄とか、冗談(という衣に包んだネガティブなメッセージ)なども、大人なら軽く受け流すことが出来るようなものも、子供の心には刺さる場合がある。

具体的に気を付けるべきだと自分に言い聞かせているもの

☆ 子供を、自分(親)が望む方向に進ませるために manipulate(人を操る)するような言葉を発しない。そりゃあ親の望み(進路、交友関係)なんかもいろいろあると思うし、あって当然だけど、それを子供とどうやってコミュニケーションしていくかは別問題。ちゃんとオープンにストレートに話すべきところを、別の内容にしれっと潜ませて言ったりする。そういう卑怯なやり方は「多感な時期」の子供にはバレバレか、バレてなくても違和感を察知して拒絶されて終わる可能性が高い。ベストなのは「本人に任せる」こと。全部は無理でも、年齢と個人の能力に合わせてある程度は「君の人生は自分で決定しよう」伝える。親は子供に対しては最も誠実でなくてはならない。そして、子供は親の失敗を克服したり、もしくは成功を再現するための白紙の人形ではない。

☆ 子供を、自分(親)のストレスの発散の道具にしない。親も人間だから、大人の世界の悩みや問題が多くあるし、いくつかは子供が関わっている内容かもしれない。そういうとき、ほんの少しでも「あなた(子供)のせい」という含みがあるメッセージや態度を出したら、「多感な時期」の子供のセンサー(アンテナ)に拾われちゃいます。そして、何等かの傷を残します。または傷つかないように何らかの防御力を発揮します。ストレスは「子供で」発散するのではなく、「子供と」発散すればいい。子供にもストレスがあるんだから、親子で楽しんで、ストレスの原因を少しの間だけでも忘れることが出来ればそれこそ一石二鳥じゃないですか?子供をストレス発散の材料に絶対にしてはいけない。これはまぁ年齢に関係なく、ですが。

☆ 子供が「感動している」といって、共有してこようとすることを、とりあえず共感しようと努力してみる。例えば次から次へとユーチューバーを紹介してきます。大人の自分からしたら「茶番」としか言えないようなものばかりです。ぶっちゃけほぼ興味0ですが、子供たちがそういうのを見て楽しんでいる、という認識と、それに対する肯定はしてあげるべきだと思っている。歌やアニメなどのコンテンツはその点、本当に共感できるものがたくさんある。RADWIMPSを流しながら「君の名は」の小説を(借りて)読んだりしたけど、ちょっと涙でたしw 自分はもともとこの辺りの感性は弱いほうなんで、むしろおっさんになってからの再教育で発展できる、のびしろがあるのかもしれない!子供たちの研ぎ澄まされた感性のフィルターを通して見える世界は、結構面白いものです。

まとめ

自分がどうあるか、どういうものに感動するか、どういう体験をするか、子供や家族とそれらを共有するのか、あくまでも個人単位で楽しむのか、すべてのチョイスは自分にあるという自覚をもって、自分と(家族にとって)ベストだと思われる選択をしていこうと思ったわけです。あと、14歳の感性をなめてはいけないという再確認。