シアトル生活はじめました

20年以上すんだ東海岸から西海岸に引っ越してきました。MicrosoftのUniversal Storeで働いてます。

双子の娘の一人が、シアトルの日本語補習校を辞める決断。もう片方は続行~

双子の娘の一人がシアトルの日本語補習校を辞める決断をして退学の意思を学校側に伝えたとのこと。
まずは、本当に頑張ったと褒めてあげてます。アメリカで生まれ育って、日本の空気を吸ったのは全部合わせてもせいぜい1カ月程度、それも学校に通ったとかじゃなくて旅行で。それでも日本語はペラペラだし漫画も読めるし邦画も楽しめるしユーチューバー動画もお笑いも楽しめます。もう十分すぎるぐらいの日本語能力です。私と妻が希望してた目標以上達成したと思います。
本人も学校で友達と遊ぶ時間が本当に楽しいらしいけど、やはり宿題の多さとそれに対する要求に忍耐の限界が来た、というのが大きいみたい。
ホント、宿題ってバカバカしい。何のための学力テストなんだろと思う。規定のカリキュラムに沿って、コンテンツの理解を測るテスト。それに合格すれさえすればいいんじゃないんでしょうか?
まぁそれだけ、でないというのは分かります。宿題みたいな「タスクをこなす力」も身につくという部分はありがたいし。
でも、原則としては学力テストでパスさえすれば「どうやって学習するか」は個人が決定してもいいと思う。授業だけで飲み込む子もいれば、反復で学ぶ子もいれば、直観や洞察だけで理解できる天才もいる。そういった個人の違いによる「方法論」を無視して、宿題という方法に力点を置く、というのはどうかと思うわけです。
それは補助なしでパス出来ない子のための宿題、と言われてしまえばもう言い返すことはないです。そうなるとゴールの部分ですでにずれているということですから。つまりグループ・組織・全体としてのゴールが個人を優先する、ということですから。そうなるとそのシステムから離脱するしか自分をストレスから解放するすべはないですし、それが娘の判断だったのかもしれません(そういう意識があるかは分かりませんが結果、そうなのかなと)
どちらにしろ、今まで頑張ったことと、さらに自分の人生を積極的に自己決定しはじめた娘に、お疲れ様、そして空いた時間を楽しんでね、と伝えたいです。(本人は現地中学校でバレーボールのチームに入りました。どんどんうまくなってますし、本人も楽しくてしょうがないって感じ。良い選択をしたなと感じます)
(ちなみに、もう片方はしばし続行とのこと。それも自己決定なんで応援してる、という状況です)。