シアトル生活はじめました

20年以上すんだ東海岸から西海岸に引っ越してきました。MicrosoftのUniversal Storeで働いてます。

JCの娘たちにオススメしている宿題戦略。「宿題は『やるもの』ではなく『マネージするもの』だ!」

FBタイムラインにこんな記事が流れてきました。

bigissue-online.jp

これを読んで、ちょっと「退屈は必要」という論点は異なりますが、宿題に関して前々からずっと疑問を感じていて、最近になってようやく自分なりに親としてどのようにアドバイスすべきか考えがまとまり、そして実際に娘たちにも具体的にアドバイスしはじめました。それが正しいかどうかは分かりませんが、子を育てる親としての義務として、なんらかの指針を示す必要はあると思うのです。

それにしても娘たちがやらなくちゃいけない(とされている)宿題の量が、傍から見ていても半端なくて、自分が同じ年齢の頃はそんなに出てなかったと思う。宿題をほとんどやったことが無い自分からしたら、夜遅くまで宿題宿題とやりたいわけでもないことをやる(やらされてる)状況をみて、原則「やらなくてもいい」という風に伝えてきました。

「やらなくてもいい」とは言うものの、じゃぁそれでいいのかと聞かれると、私自身しっかりした回答ができなくて、ただ「かわいそうだから」みたいな感情論でそんな風に娘たちに言うのも無責任かもしれないと思ってました。なんというか、親というか身近な人生の先輩としてしっかりとした戦略としてアドバイス出来てない、というか自分自身の考えがまとまってない状態。自分の頃と状況が違うから、自分の時と同じようにすればいい、というのもおかしいわけですし。

ですが、最近考え方がまとまって、娘たちに対してはこのようなメッセージを伝えるようになりました。多分、これで合ってると思う。何に対して合っているかというと、自分と妻の価値観、我が家の価値観、今後AIやシンギュラリティで変わっていく世界に対応していく戦略のひとつ、そういう観点から見たひとつの答えじゃないかと思っています。

メッセージはこうです。

「宿題は『やるもの』ではなく『マネージするもの』だよ。」

宿題を『やるもの』ととられた時、ただ言われたままに、全ての宿題を、苦労しながら、イヤな気分になりながら、本当にやりたいことを犠牲にしながらすることになります。

それでは良くないと思うのです。言われたままするのは「主体性」を育てない。苦労したり嫌な気分になることが人格にどうプラスになるのか仕組みが分からない。本当にやりたいことを出来ないという機会損失が不経済的。そういった理由からです。

それより「宿題はマネージしようよ」ってこと。この「宿題はマネージする」という「戦略」は、毎回の宿題案件が発生した際に、以下のような具体的な作戦にあてはめて処理していきます。

(1)優先順位を付ける。少なくとも「絶対にやらないといけない宿題」と「自分にとってやってもやらなくてもいい宿題」に分類分けする。その基準は「個人のシチュエーション」による。その「個人のシチュエーション」を一番理解しているのは自分自身だから、この判定を上手くやれるのは自分だけ。

(2)やらなくてもいい宿題はできるだけ少ない労力でやるかネットで調べたりして体裁だけ整えるか全くやらないか決める。宿題にもオプションの部類に入れても問題ないものもあるらしいので、それは「絶対にやらないといけない宿題」を終わらせるための障害にならないように取り扱う。やらないという選択肢も意識しておく。やらなくてもいいことを、完全受け身で「だたやる」ことこそばからしいことはない。逆に、やらないことで評価が下がり、成績全体が下がったとしても「その理由を説明できる」なら問題なしと思うのです。成績をただ上げる(キープする)だけなら力業でなんとかなる。そんな「ただ頑張るだけの人」は近い将来いらなくなる。頑張りは機械にやらせるわけで、その見極めが出来る人材が必要になるので。

多分この「成績の呪縛」から「親」が開放されないと、子供にもこの呪縛を科してしまうことになると思う。これは「学歴主義」という社会の問題の一部でもあるから、なかなかすぐに変えることが出来るものではないとは思う。そして「親=大人」は頭が固いからなかなかこの辺りの考えを改めるのは難しい。でも可能です(がんばりましょ!自分で自分の考え方は変えられます!考え方ほど簡単に変えられるものはないんですから。一瞬です!)

(3)絶対にやらないといけない宿題は優先順位と関連性やまとまり感を考えながらスケジュールをする。やる順序だけでなく、自分の頭が冴えている時間、複数の科目の親和性、思考中心なのか作業中心の宿題なのか(作業中心ならYouTube見ながら半分休憩気味にやる、とかもあり)、そういう特性を考慮し、作業スタイルとのマッチングを考えながらやる。やらないといけないことをやり遂げる力はとても大切なスキルなので、ここを伸ばして上げる。そのためには「やらなくてもいい宿題」は犠牲にして切ってもよいとする。良く言うじゃないですか、「やることを決める」より「やらないことを決める」方が大切だと。

(4)絶対にやらないといけない宿題を自分だけの力では出来ない可能性がある場合は、それを可能にするリソース(それを理解している友達や先生)を探す。探しだしたらそこにアポを入れる。宿題を自分の力だけでやる必要はない。むしろこれからの時代はいかにして解決への一番の近道を見つけることが出来るかが重要で、その際にどういう自分以外の力を頼れるか、それを見極め、リーチアウトし、実際に援助を得る能力が大切になってくる。起業して資金調達する能力もこれでしょう?このスキルを育てるために「やらなくていい宿題」は犠牲にする。その結果、成績が落ちてもそれもマネージされているのでよしとする。

こういうやり方を自分の娘たちにはアドバイスしています。

面白いことに、こういう「やらなくてもいい宿題もある」というスタンスを持つと、逆サイコロジーなのか、自ら宿題をしてるのを見ることが多くなりました。そもそもJCになった段階で「宿題等、やる・やらないは全て自己判断」というポリシーなんで、うちはいちいち「宿題やったかやらないか」のステータスはトラックしてないんだけど、それでもなにかこう「能動的に宿題をやる」というシーンをよく見かけるようになりました。

人間やはり「任される」というのは大切で、そのスタンスをしっかりもってあげれば、あとの実行に関してはそのうち最適な方法を自ら見つけていくのかもしれないですね。なんかまとまりがないグダグダな文章になってしまいましたが。