シアトル生活はじめました

20年以上すんだ東海岸から西海岸に引っ越してきました。MicrosoftのUniversal Storeで働いてます。

体罰の線引きが分からない?答えは「体罰=自由を物理的に奪う」ではどうでしょう?

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どこまでが体罰でどこからが「しつけ」なのか、迷うことがあるようですが、僕個人としてはこの例にある行為は「体罰かどうか」は別として、子供にやったことないし今後もやることは無いと思う。

僕なりの判定基準ですが「自由を奪う」かどうかが大切だと思うんです。ちなみに「自由を奪う」ことを子供がやらかしたら、我が家は「家族会議」が開かれませす(=叱られる、しつけが執り行われるということ)。一度、ふざけて娘Aが娘Bを2階のベランダにカギを掛けて閉じ込めて、娘Bの懇願に関わらずその状態を笑いながら続けましたが即、家族会議です。もしその瞬間災害が起こったら死ぬ可能性が高まりますから。

話を戻して、体罰がなぜ良くないのかの根本に立ち返ると「子供を人間として尊重していない扱い方」だからでしょう。

この「人間」というのが大切で、親はなにか子供たちが「人間未満」の生き物で、それゆえにある程度の質の低い扱いをされても構わないと思っている節があります。出発点から間違えていると思います。

人間としての最も重要な権利は「自由」です。痛みを感じなくてもいい自由、居心地の悪い状態にいなくてもいい自由、怖い思いをしなくてもいい自由、衣食住において不当に制限されない自由。もちろん、他者の不便や犠牲を伴わない範囲、ではあるけれど原則、それらの自由は基本的な「人権」としてすべての人間にあるとされています。

子供を完全な人間としてみる

子供=人間。しかも「完全な人間」です。赤ちゃんだって完全な人間です。人口1億人と言う時に、その数に0歳児も含まれています。もちろん「成長を完了した人間」ではないし「社会のルールを理解して実践できるレベルに達した人間」でもないですが「生き物」としては「完全な人間」なので、もうひとつの完全な人間である「大人」や「親」と同じ「尊厳」を守られるべきだと思うんです。

そもそも20歳を過ぎて身体的に成長したのに「成長を完了していない大人」っていっぱいいません?理屈で言えばその人たちもある程度の体罰でしつけされるべきじゃないでしょうか?子供の親にも成長を完了していない人も割といませんか?

大人として、自分自身が下のうち、どれなら「されてもいい」と感じるでしょうか?

  • 頬を叩かれる
  • 長時間正座させられる
  • 殴られる
  • 尻をたたかれる
  • ご飯を与えてもらえない

どれひとつとっても、イヤじゃないですか?

でも「子供」ならいいんでしょうか?

それからひとつ、よーく覚えておくべきこと。先に歳をとってヨボヨボになるのは?・・・親です。将来親自身が能力が落ちて誰かのお世話になるとして、それが誰かと言うと?・・・自分の子供です。自分が子供のお世話になる時期が来て、自分が何かうまくできない時、子供にどういう風に対応してもらいたいですか?これを理由に子供に媚びを売って置けとか言ってるんじゃなくて「立場は変わっていくけど、同じ時代を生きた人間だ」と言いたいんです。

じゃぁどうやって「しつけ」をするのか

ってことになるけど、そもそも「しつけにはある程度の身体的苦痛が必要」って誰が確認したんですか?仮に効果がある(ように錯覚できる)としても、それの副作用(ストレス、いじめ容認の可能性、怪我、親子関係の崩壊、などなど)と合わせた総合的な結果として、身体的苦痛を伴う「しつけ」がベストなチョイスだとどうやってわかったんですか?というか、そのぐらい深く、しっかりと考えてからやっているのかと聞きたい。

周りがそうするから、自分の親がそうしたから、世間一般がそうしているから、そういうのが認知バイアスになっている可能性を考えたことは?

親が出来る「しつけ」は一つしかないと思う。「言葉と態度でコミュニケーションして、伝える」です。そのために言葉を教えて、保育園や幼稚園や学校に送ってるわけですから。まずは言葉を尽くす。言って聞かせる、それでもダメだったらもっと言って聞かせる。

もちろん、この記事の2ページ目にあるように「自他の命や安全」に関わることで物理的な干渉が必要な場合はゼロではないと思う。崖から落ちそうになった子供の腕を、脱臼するぐらい引っ張ってもいいと思う。でもそれは子供の究極的な自由(=生きる)を守る行為なので「自由を奪う」は当たらないと思う。

そもそもうまく出来ないことを受け入れる

子供という生き物が成長を完了するまでに、いろんな失敗をするのはクソ当たり前です。成長中なんだから当然です。それらの失敗をいちいち体罰で矯正しようとしても、子供という存在そのものが「まだ出来ない」を含んでいるので、絶対に100%間違いなく「子供は失敗」します。それを失くす(減らす)ための作業が「しつけ」であって、そのしつけに身体的苦痛が伴わなくてはならないとしたら子供たちにとって成人するまでは地獄です。軽めの地獄かもしれませんが、行き過ぎた場合は真に地獄です。年に数人はそういう地獄を生きて、ガリガリにやせ細って死んでいってます。

親は「成長型マインドセット」で「まだ出来ないね、でもいつか出来るようになるね」という態度で、どうやったらうまくできるか自分の体験を踏まえて話して上げればいいだけです。それですべてうまくいくようにはすぐにはならないだろうけど、それが子育てという長い時間がかかるプロセスなんじゃないですか?その子育てプロセスに志願したのは自分です。誰かに強制されたわけじゃない。なら、自分がその義務をまっとうすべきじゃないですか?

時代の風潮を作るために

自分が、せめて自分の子供たちに対してだけでも一切の「自由を奪うスタイルのしつけ」をやめると決めたら、そういう人が増えていったら令和の時代の風潮というか新しい常識として「しつけに体罰は使わない」という風になるんじゃないでしょうか?他所の家のやり方は、究極的にはその家の方針なんで仕方ない部分はあるけど、せめて我が家ではやらない、という風にしていくと、体罰が少なくなって、怖い思いをしながら地獄のような日々を送りつつ「もう許してください」なんて悲しいメッセージを書いて死んでいく子供がちょっとずつでも減っていくと思うんです。