タイトルはちょっと煽り気味です。実際は「間違いだらけ」というほどではないと思います。ただ、効果的なコミュニケーションかというと、そうではないんじゃないかと思います。
日本に1週間行ってきました
子供たちにコンピュータサイエンスを教えてきました。友達とあっていろんな困った話を聞きました。自分でもいろんな人を観察してみました。
そして、つくづくと、日本をもっとよくするために必要なのは「本当の意味でのコミュニケーション」をひとりひとりが実践していくことだ、と感じました。
そんなことはとっくに分かっている、と反論されてしまうと思うけど、どうもコミュニケーションがうまくいっていない事例がたくさんあって、しかもそれが割と一般的で、全体として日本ではコミュニケーションがうまくいっていないような印象を得ました。
注:この投稿に登場する例はまったくの創作で今回お会いした人達とはまったく関係ないです!主に、困った話をいろいろ聞いて、そこから広げた話です、念のため!
コミュニケーションの意味
コミュニケーション(Communication)の語源は、「シェアする」という意味のラテン語だそうです。類語に Common(共有の)とかありますし、Com- の部分は「一緒にとか、ともに」という意味を表し、
com-puter コンピュータ(一緒に合わせる、とかいう意味)
com-prehend (ひつまとまりに捕まえるみたいな意味。理解する、の意)
などの類語があります。
まぁ英語の語源はいいとして、つまり「コミュニケーション」という現象は「一緒に」という要素が含まれている、ということです。
コミュニケーションっぽいけどそうじゃないコミュニケーション
コミュニケーションは必ず最低でも2人の生き物(たいていは人間)の間で起こりますが、AさんがBさんに何かを伝える様子を矢印で表すとします。
A → B
これってコミュニケーションの要素だけど、コミュニケーションそのものではないと思います。
例で言うと
先生が生徒に何かを教える A → B
上司が部下に仕事の指示をする A → B
親が子供を叱る A → B
などなど。
これは伝達とか指摘とか、そういう一方方向にのみ流れるものです。Com- の部分がほとんどないです。メールとか伝言で済ますことが出来るスタイルの関わりかたです。
こういうスタイルの関わり方が悪いと言っているのではなく、これをもって「コミュニケーションをしている」と思っているのであれば、それはどうかな、という話です。
最低限のコミュニケーション
これは簡単に言えば「双方向での意思の疎通」
先生が生徒に何かを教える A→B
生徒が先生の間違いに気づき、それを指摘する A←B
上司が部下に仕事の指示をする A→B
部下が、自分の思うところのより効果的な仕事の進め方を提案する A←B
親が子供を叱る A→B
子供が親に弁明をする(口答えをする?)A←B
ここで言いたいのは、私たち日本人は立場とか役割を超えて、お互いがお互いに双方向で思うことを伝えているかどうか、という点です。
私が感じる限りでは、得に力・立場・役職などが対等でない関係において、あまり出来ていないと思いました。力(立場)が対等でない関係は日本には掃いて捨てるほどあります。アメリカに比べるとさらに目につきます(まぁ上司や教授を"Hi, Mike!"などと名前で気安く呼ぶ間柄が良いか悪いかは価値観の違いですが・・・)
本当の意味でのコミュニケーション
これは「最低限のコミュニケーション」をさらに発展させた形で、本当の意味でのコミュニケーションのあり方です。
例えば
先生が生徒に何かを教える A→B
生徒が先生の間違いに気づき、それを指摘する A←B
先生が指摘が妥当だと認め、訂正し、生徒に感謝する A→B
生徒が先生のフェアな姿勢を好きになり、それを伝える(笑顔等で)A←B
上司が部下に仕事の指示をする A→B
部下が、自分の思うところのより効果的な仕事の進め方を提案する A←B
上司が、なぜ自分のやり方の方が今回は適切かを詳しく説明する A→B
部下は納得がいかず、議論に同僚Cを加える
同僚Cが自分の意見を述べる AとB←C
AとBとCがお互いの意見の長所・短所を比べてひとつの方法を導く(コンセンサス)
親が子供を叱る A→B
子供が親に弁明をする(口答えをする?)A←B
親が親の視点からなぜそれが良くないかを説明するA→B
子供が子供の視点から反論する A←B
親が納得する (もしくは)子供が納得する
親と子供が共通認識を持つ
このような矢印が双方向、もしくは場合によっては複数の参加者間で入り乱れるような状態、これこそがコミュニケーションだと思うのです。
そして、コミュニケーションのゴールは、皆が納得いく、納得いかなくても自分の意見を少なくとも聞いてもらえたことを確認する、出来れば同意してコンセンサスに到達する、そうでなくても今後の課題をあぶりだし、それを皆が認識する。
そのようにコミュニケーションは本来ダイナミック(動的)で、活発で、複雑なものだと思うのです。
日本で、このようなスタイルのコミュニケーションは、無くはないとは思いますが、やや少ないのではないか、と個人的に思うのです。
日本人が英会話が下手な理由
もう日本人は何十年も英語をマスターしようと頑張ってますが、なかなか国全体としてはやはり上手にはなっていないなと感じます。
決めつけるつもりはないですが、おそらくはその理由の一つだと感じるのが、日本人のコミュニケーションのスタイルが本来の意味でのコミュニケーションでない、というものがあると思うのです。
英会話は単純に言えば「英語を使ったコミュニケーション」です。「英言語」というテクニカルな部分は日本人は実は割と優秀だと聞きます。文法であったり、語彙であったり、そういう部分です。でも英会話の「コミュニケーション」の部分は、例えば
先生が話すのを聞く
自分が上手な発音で、文法も正しく言おうとする
完全な英語で、一文で(1回の矢印で)伝えようとする
完全なヒヤリング力でもって、1文で(1回の矢印で)相手が言おうとしていることを理解しようとする
これらはたくさんの矢印が入り乱れる本来の意味でのコミュニケーションではありません。こういう練習はいくらやっても「コミュニケーション」の練習にはなっていません。そうすると、上手くはならないと思います。
語学学校などでもよく目撃しますが、社交的なラテン系の留学生なんかは結構すぐにペラペラになってしまうことが多いと感じました。コミュニケーション力が高いからだ、と感じます。
上手には言えないかもしれないけど、とりあえず伝えようと動き始める。すると相手は良く理解できなくて、聞き返してくる。聞き返してきた雰囲気で、何が伝わってないかを察知して、その部分が伝わるように工夫して言い直す。相手はある程度分かったことを示すが、不明瞭な点を聞き返してくる。ジェスチャーなども交えて、不明瞭な点を明確にする。お互いが相互理解に到達する。
このような、もっとダイナミックでその場その場で異なるコミュニケーションを取る習慣を身につければ、英会話に限らず外国語の習得はもっともっと上手になると思います。
いろいろな問題はわりと簡単に乗り越えられる
毎日の生活で、いろんな問題が起こります。カウンセリングなどを受けるという方法ありますし、友達や親しい人に助けてもらう方法もあります。でも、そういう方法はお金が係ったり、そういう人が周りにいるというラッキーな環境でなければならなかったりします。
でも、一番手っ取り早くて安上がりな方法は「自分自身がコミュニケーションをする」と決めて、自分が関わる全ての人間関係で、本当の意味でのコミュニケーションをすることだと思うのです。
誰かに矢印を向けた時は、必ず相手からの矢印を受け取る。
誰かから来た矢印に対して、自分に思うことがあれば丁寧に矢印を返す。
信頼関係が無いと難しい、と思う場合もありますが、逆に信頼関係を構築するもっとも効果的な方法の一つがコミュニケーションかもしれません。
自分だけコミュニケーションをしようとしても、相手がそういうコミュニケーションをしてくれなかったら上手くいかない、という意見もあるでしょう。確かにそうです。でも、少なくとも二人の間での関係ならば、自分がきちんとコミュニケーションをすることで50%分は正しいコミュニケーションが出来るわけです。なんなら「本当のコミュニケーションとは?」という題材で会話してみるのもいいかもしれません。
きっと良い方向に動いていくんじゃないかと思います。
まとめ
今回、日本に滞在して、自分なりに得られた成果のひとつが、この気づきでした。