こういう記事があがってた。
さらに、チャイナマネーと不動産に関する記事。これは2週間ほど前のもの。
結果的には、家族を引き連れて引越して来て、上昇気流にうまく乗ることが出来たのかな、っと思うけど、偶然と成り行きでそうなった、という部分もあったりする。
人生は「塞翁が馬」です。
シアトルに引越しを決める前に、いくつかの町を考え、希望してました。
ガッカリその1
マサチューセッツ州は、以前住んでいたニューハンプシャー州からはほんの一時間ぐらいの引越し程度で済むんで、転職・引越しとしては一番ストレスが少ないものでした。一時間分、ボストンの方に向かって引っ越すだけで、ボストン近郊のIT関連の仕事が一機に自分のマーケットに入るし、子供たちも同じ日本語学校に通えるし。いろんな意味で第一候補でした。
マサチューセッツにあるVMWareのWindows系のエンジニア・ポジションに申し込み、面接をしていただいた。結果は、口頭での「ぜひ、来てもらいたい」というオファーに近いもの。ただ、正式オファーは人事と最終的つめて追って連絡する、とのことだった。
この段階で「借金してでも家を売って(家の価値が借り入れている金額より低い状態。俗に under watar と呼ばれる状況)Massに引っ越すぞ~」って気分になってた。
がしかし!2週間以上経っても正式オファーの電話はなく、連絡してみたら、「面接はパスだし、チームのみんなも気に入ってるんですが、VMware側の今年度の採用枠が埋まってしまって、来年の採用枠が決定するまでは今は何も出来なくなってしまった」みたいな返答があった。VMWareは断念するしかない状況になってしまった。
これが「ガッカリその1」
ガッカリその2
シリコンバレーは、アップルに勤めている知り合いに頼って、履歴書をだした。
残念ながら、アップルは電話面接で落ちた。なぜかというと、準備を怠ってしまって、今思えばとても簡単な問題に適切な解を出せなかったため。
これが「ガッカリその2」
ガッカリその3
ただ、こういう経験は次の動きの原動力に繋げていったりするものです。
その日からブチ猛勉強をして、次のマイクロソフトの電話面接が上手くいき、最終面接も受かってオファーをいただく、という結果に繋がった、と思う。
ちなみに、グーグルの方はマイクロソフトのオファーをいただいた数日後に面接の時間調整の連絡が入ってしまった。正直いうと、当時はグーグルにすっごく行きたかった。
これが「ガッカリその3」かな。
ただ、最近のマイクロソフトの事業展開と社風がとても気に入ってしまった今となっては、グーグルからの連絡が遅れたのはよかったのかもしれない(ちなみにグーグルの面接の厳しさは有名なんで、受かったかどうかはかなり怪しい・・)
ガッカリの4
テキサス州はとにかく物価が安い。同じお金を出してボストン近郊の倍以上の家が買えるというのは、ダラス近郊に住む友達によく聞かされていた。テキサスが第二のカリフォルニアになる、っといった雑誌記事もちらほらあったし、実際にそういう雰囲気があったし、今もある程度そういのはあると思う。
とにかく冬の寒さと雪の多さに(20年!)参っていたんで、テキサス州は魅力だった。
テキサスはDELLの本拠地なんで、DELL社内で「スライド式転職」が出来る状態だったんで、いくつかのポジションに申し込んでいた。
でも、待てど暮らせど連絡なし。何しろ社内メールで担当者のメアドまでわかるんで、ダイレクトにメールを送っても返答なし・・・
でも、たぶんそういう会社というか部署だったから行かなくて正解だったのかもしれない、と今になっては思う。
初めての希望退職
ちなみに勤めていたDELLでの仕事、というか仕事場そのものが以前からグダグダになってきて、同僚も次々と創業者(DELLではなく、DELLに買収されたストレージの会社)が立ち上げたスタートアップに就職していった。そういうのを横目で見ていると、ちょっと焦るというか、不安になってきたりするもんです。
ところが、マイクロソフトへの転職を決めた頃に、DELLが大型リストラをすることになり、希望退職を募り始めたのです。
これこそ渡りに船!
希望退職をしたのは初めてだけど、頂いた退職金を使って家の借金を完済することが出来たのは本当にラッキーだった。焦って辞めたりしてたらこうはならなかったので、人生どうなるかわからない。
ワシントン湖の西側と東側
これは自分がそう感じるってだけなんだけど、シアトルよりもワシントン湖を挟んだ東側の地域、町でいうとべレビュー、レッドモンド、カークランド、さらにその北のボセル、その辺りが発展していきそうな雰囲気になってる。
引越し先は日本人リアルターのオススメを考慮して、ボセルという町にした。
シアトルそのものは東には大きな湖、西はオリンピック半島との間にあるピュージットサウンドとう南北に伸びる細長い湾に挟まれている。それが理由で、密度は上がるだろうけど、それ以上広がっていくのは物理的に無理だろう。
その点ワシントン湖の東側は、まだ南北に広がっていく余地がある。実際、自分が引っ越してきた地域も人口増加のスピードに追いつかず、小学校は簡易プレハブでまかなっている状態。
べレビューから南北に伸びるバイパス高速道路「ルート405」は先月から5車線になった。そのうちの2車線はエクスプレス・レーンで3人以上なら無料、それ以下でも有料で走れるようになり、交通渋滞はかなり緩和された。
これはシアトル側のインターステート「ルート5」と同じかそれ以上の交通量を受け止められるキャパになったわけで、それは将来的な交通量増加を見越してなのか、もしくは逆にビジネスを郊外にも誘致しようという作戦なのか、どちらにしろ大きな投資になっている。
流れに任せて行き着いた町
高校卒業後にアメリカに来て、いろいろな町や地域に住んだけれど、夫婦ともども「ここで決まりでしょ!」っと納得してる。日本人としても住みやすいし、気候も穏やかで、自然も多く、人の気質も穏やか(例えば、人の運転が穏やか。クラクションを聞くことがグンと減ったし、ケンカしなくて驚く)。
この先、5年後、10年後・・、この町と地域がどんな風に変わっていくのかを見ていこうと思う。