シアトル生活はじめました

20年以上すんだ東海岸から西海岸に引っ越してきました。MicrosoftのUniversal Storeで働いてます。

双子のひとりは成績優秀。もうひとりは平凡な成績。この場合の親の対応はどうあるべきか。

通知表のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

我が家の女子高生の双子の娘たちが、学期末に成績表を持ち返ってきます(というか送って来ます)。そして内容を見ると2人の成績はかなり違います。

一人は高校に入ってからこの2年、全てAを取ってきています。いわゆるストレートA(日本でいうオール5?)しかもその中には大学レベル(APという制度)の授業も2,3入っていたようです。

もう片方はAもBもC、もしかしたらDもあったかな・・・、それらを万遍なくミックスして貰ってきます。どうやら宿題提出の有無がかなり影響があるらしく、総合的な評価でA評価になかなか届かないらしい。

このような、成績が大きく異なる通知表2枚を本人たちの目の前で見た後に、親としてどのような発言をすべきか、どのようなメッセージを発するべきか、どのような態度を表すべきか、少し考えます。どういう風に言うのがベストなんだろうかと。

典型的な反応としては、成績が優秀だった方を褒め、逆に平凡だった方に「ほら、お姉ちゃん(妹ちゃん)は立派な成績を取ってきてるんだから、あなたもがんばりなさい」といった感じのメッセージを伝える。おそらくだけど、これがもっとも一般的な反応ではないだろうか。

他に少し違うバリエーションで、「お姉ちゃん(妹ちゃん)が特別よく出来るんであって、あなたが普通。そういう普通の成績でいいのよ」みたいな対応もあるかもしれない。けしかけるのではなく慰めるパターン?

どちらにしろ、言い方をひとつ間違えると、「比べないで!」とか「優劣をつけないで!」っといった反発を産む可能性があって慎重にならざるを得ません。もしかしたら双子のうち、ひとりはいい気分になり、もう一人は劣等感を感じるといった事態になる。最悪、評価された方がもう片方にマウントを取って、姉妹の仲に序列が出来るというケースもありうるわけで、問題は一見簡単そうで、実は複雑です。

一体、何が正解なんだろう・・・そもそも正解なんてあるのだろうか、と考えてしまいます。究極的には家庭ごとに違う、ということは間違いないんだけど「原理・原則」というか「ベストプラクティス」として親はどうすべきなのか、考えるわけです。

そして我が家の、そして僕と妻の「両親としての」対応は以下のようなものです。

自己決定

まず、前置きとして我が家の娘たちは、学校での勉強に限って言えば「ほぼ100%完全に自分で決めて行動している」というのがあります。例えば、宿題をするかしないか、するとしたら何時やるか、授業(この1年半はオンラインでした)に出るか出ないかといった毎日の行動については全て自分で決めています。親の私たちは、遅刻しようがサボろうが、もちろんそれを「認識」することはしますが、それに対して「評価」はしません。「今日寝坊して授業でなかった」って言えば「え、そうなんだ。昨日何時に寝たの?」といった会話になります。「もう宿題はしたの?」という質問を「発声」したことはあるけれど、それは暗に「宿題をしなさい」と言っているのではなく、例えば家族カラオケ大会の前に、意気揚々とおやつを準備している娘に業務連絡の一部として質問する程度です。大抵、なんらかの作戦を立ててマネージしているようです(もしくは、読み進めてもらえば分かりますが、完全に放棄している場合もあります)。

高校で選択するクラスについても本人が決めています。もちろん、相談やアドバイスを求められたら対応します。「3Dプリンターのクラスがあるんだ、取れ取れ、そしてお父さんと遊ぼう」みたいな圧を掛けることもありますが、それはノリの一種であって強制力はまったくないです。親として「子供に選択してほしい科目」はあるにはあるのですが、その実現に向けて根回ししたり、誘導したりすることはありません。私は職業上「数学」の大切さとそのパワーを痛感しているので、そのことは人生の先輩としてシェアはしますが、それをどうとらえるかは完全に本人の自由です。

実際、勉強以外についてもかなり「自由」です。例えば就寝時間などの生活習慣についてもほぼ完全に自由で、親から「何時までに寝なさい」とか「スマフォは何時まで」とか、そういう行動に関する制約はまったくありません。今現在アメリカの高校は夏休みですが、完全に昼夜逆転しています。学校のある時期でも徹夜をしていることもありました。ですが、その結果昼に眠くて死にそうになっても、そういう学びの機会なので好きにさせています。

それでは社会不適合者を育てているのでは?という指摘もあるかもしれませんし、もしかしたらその通りかもしれません。この辺りは「覚悟」を決めるしかありません。ただし「約束」したことについては、それを守ることが重要になるので、ある程度の干渉が必要に応じて生じます。冷蔵庫のドアに、自分たちが決めた「家事手伝い」の表があり、それに進捗状況を書き込むようになっています。それがお小遣い財源になっているのは言うまでもありません。

お金の使い方に関しても自由ですから、お小遣いもあっというまに残高が一桁になるのを何度も見ています(僕の銀行口座の元に、未成年者向けの講座を作ってある。デビットカードが使えるのと、お小遣い等の送金を電子的にやり取りできるので)。お金は特に、自由に使わせて(練習させて)こそのお小遣いだと思うからです。当然、親からみたらとんでもないものにとんでもないお金お費やしたりしますが、お金の活かし方は経験を通してしか学べないと思うし、それを学ぶのが今だと思っています。

自分が決めた成績

さて、成績の話に戻りますが、このように「全て自由に自分で決める」ことが前提なので、その結果も全て「本人」の選択の反映です。本人が「ストレートAを取りたい」と完全自由の中で決めたのであればそれは素晴らしいことで、それと全く同じように、本人が「平均的な成績で自分は満足」と決めたのであればそれはそれで全く問題ありません。

結果を評価するのでなく、その結果を導いた普段の態度と自己決定の積み重ねについて考えるので、成績の違いに重点を置く必要はありません。ふたつの成績表を手に持って、2人に向かって「それぞれが自分で自己決定した結果なので問題ないし、むしろ自分自身であったこと、自分を表現したことがとても良い」という感じのメッセージを送ります。

特に成績が平凡な方の娘は、やりたくないこと、興味がないことは一切エネルギーを遣いたくないと思っている性格らしく、その結果としてCやD評価などが出て来るようです。これは、実はとても大切なことだと私は思うんです。「何をやるかを決めることは、何をやらないかを決めること」でもあるからです。

これからは自分の特性・特技を磨いて、それを社会に役に立てる必要があります。現に彼女は絵が大好きで、起きてる時間の多くを絵に費やしていますが、最近は絵を公表しているインスタのアカウントのフォロワーが1万人を突破していました。これは「全部Aを取る」ことと比べた時、「自分の好きなことを極める」や「自分のやりたいようにやる」という点に置いて、同じぐらい褒められるべき成果だと思うんです。

全部Aを取って来る方は、彼女の性格として徹底的にやりたいこと、そして宿題や追試などを多いに利用して努力することが楽しいと感じているようです。完璧主義という言葉が合っているとは思わないけれど、完全に攻略したいと思うらしく、私たち親は逆に「BやCも混ぜて、ちょっとバランスとってもいいんじゃない」と言ったりもします。実際アメリカでは「やさしい教科でAを取ること」より「自分の能力より上の教科でCを取ること」の方が受験に置いて評価される場合があると、以前知りました。なので、表面的に良い成績をキープすることより、仮に成績の数値が低くなったとしても、本質的に自分を成長させる方が大切だというメッセージを伝えるようにしています。

もちろん親としては子供の成績が良いのは大歓迎なんですが、そこにはもうひとつ別に「高校の時は成績が良かったので自分は出来ると思っていたら大学ですごい人たちとあって自信を失ってしまった」といった状況にならないように、つまり表面的な「成績至上主義」に彼女が陥ってしまわないようにするための安全弁をこっそりと仕掛けるつもりで言っているという面もあるのです。

成績と人生

私が思うに「学校の成績」がその人の人生に与える影響は、昨今は少なくなる一方です。平たく言えば、あんまり関係ない、ということです。もちろん、成績がその人の特徴を示すインディケーターになるという点は否定できません。ですが、成績が「決定的」な要因だとは思えないのです。なので「成績の内容」の評価に関しては、それがAばかりなのかどうかではなく「自分がそれを決め、それに満足して、もっと大きな人生戦略の中で現在の成績に納得がいっているかどうか」がもっとも大切だと思うのです。

ぶっちゃけ自分たち自身、中学や高校の頃の成績が今の自分とどれぐらい密接に関連しているかを考えると、ほとんどないと思うんです。もちろんゼロではないです。周りにもよく出来るエンジニアが、数学の成績が良かったってケースはゴロゴロしてますし。逆に私は英語はいつも5段階評価で2か3でしたがアメリカで仕事しています。

ある国の、ある学校の、ある先生が下した評価、あるいはある年のある全国的なテストの結果が、世界におけるその人の今後の活躍と、その人の後々の幸福度を、どのぐらい的確に予言するかというと、ほとんど当たらないと言えると思うのです。

それよりも「自分自身で自分の特性を見極め、それを磨くために、自分に託された資源(時間、教育の機会、お金など)の采配を試行錯誤し、日々のストレスを最低限にしつつ、幸福感を最大化する」そういう練習をすることが、今後の長い人生に最大限に影響を与えるし、高校生の娘たちにとって一番重要だと私たちは考えるので、「成績優秀な娘」も「平凡な成績の娘」に対しても、まったく同じメッセージを発します。

ふたりともすごいぞ!って。

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