花ちゃんの死について想うこと - 「私たち良い人間 vs あいつら悪い人間」という構図では「根の問題」は解決しない。
匿名で個人攻撃・人格攻撃をする人は卑怯で無責任で無知で非難されるべきだけど、そういう人は普通に私たちの周りにいて、さらに言うと実は私たち自身なのかもしれない。「こっちはいい人たちで、あっちが悪い人たち」という分け方で議論を進めると、解決しないような気がするんです。
有名な言葉:
If you are not part of the solution, then you are part of the problem. 解決の一部でないなら、あなたは問題の一部です。
「匿名で個人攻撃」は現れ方の1つで、「同じ根」を共有してる現象としては他に様々な「実名での個人攻撃」があると思う。いじめ、虐待、ネグレクト、セクハラ、パワハラ・・・(あとは適当にハラを付けて)
匿名・実名に関わらず「個人攻撃をする人」は残念ながら特別に変わった人というわけではない。
- そんな人でも優しくする対象、例えば子供や後輩がいて、普段は優しくしているはず。
- そんな人でも社会的に人助けをする仕事、例えば消防士や看護師、をしてる人もいるはず。
- そんな人でも勇気ややさしさを表現するメディア、例えば ディズニーや宮崎駿や新海誠のアニメ、を観て感動しているはず。
- 交差点で信号を待っている群衆の中に、スーパーのレジを待つ人達の中に、学校や会社の朝礼の群衆の中に、そういう人達がいるはず。
匿名で個人攻撃をする人は卑怯という点で最低の生き物に分類できる。だけど、それは「鬼に金棒」的に、より気軽にそして安全に個人攻撃が出来るとうだけで本質的な性根の悪さは、実名で個人攻撃をする人達と同じかもしれない。
匿名で個人攻撃はしないけど、自分の置かれている社会的立場で、誰かを攻撃した人、力関係を利用して相手にイヤな思いをさせた人、自分の都合で他人を犠牲にした人、そういう人は実は日本人の中に多くいると思う。私自身もそういうことをしたことが無いかと問われれば「ある」という答えになる。
世の中に、毎日のように命を絶っている花ちゃんがたくさんいて、その花ちゃんを追い込んだ人が必ずいて、その人たちは今も普通にコンビニに行って、動画を見て、仕事をして、夜はすやすや寝てる。それは自分たちの中にいて、つまり「自分たち」なんだと思うわけです。
言いたいのは「この問題は自分も含めての問題」だということ。これは「この問題は自分も含む」と認識した後「だったら自分は?」と省察し、普段の生活の中で、誰かにハラスメントをしていないだろうか、誰かに自分の都合を押し付けていないだろうか、考えてみるべきだと思います。もちろん、これは自戒でもある。
「私たち良い人間 vs あいつら悪い人間」という構図では「根の問題」は解決しません。
自分自身が、そしてひとりひとりが、個人攻撃を止めるまでは、たくさんの花がこれからも散っていきます。あんなに強くて可愛らしい花が散ってしまいました。そして社会の一員である以上、0.00000001%ぐらいは自分に責任があるんです。せめて自分だけは個人攻撃を止めなくてはいけません。
究極的な問題の解決は私たちひとりひとりにあって、自分だけは例外、自分のは大したことない、自分の状況は別、という風に考えていては解決しない、このように私は思います。